健康意識の高まり

いろんなメモなど

批判的思考、創造的思考、論理的思考。あとリーンとか。

2011年11月に facebook ノートにまとめてたのを「そういえば」と思いだして見返した。
せっかくなので、これまとめてから経過した約1年半に感じたことも含めてまとめなおそうと思う。
※ (warning!) こっから先は、思考法とかリーンとかに関してただのシロウトが自分の頭を整理するために勝手に書いてるものです。

クリティカルシンキングの教科書まとめ

当時読んでた「クリティカルシンキングの教科書」を自分なりにまとめたのが以下の図。
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批判的思考、創造的思考、論理的思考

何かに取り組む時には、 そもそも取り組む対象の目的や、
対象が抱えている問題・課題に「自分で気付き」、自分の頭で設定しないといけない。
じゃないと「何でやってんのか」について考えなくなり、ただのマシーンになり下がるから。
この「気づき」は、汎用的な知識やスキルでは成しえない。
そこには「哲学」とか「ポリシー」なんかに形容される、自分自身の「価値判断基準」が必要になる。

課題や問題に気づいたら、その課題・問題の原因と解決策をMECEに洗い出す。
ここで、クリエイティブシンキングと呼ばれるツールが役に立つ。

さらに、MECEに洗い出したら、それらの因果関係を明確にし、
「ほんとにそれで解決できんのか?」を論理的に詰めていく。
ここで、ロジカルシンキングと呼ばれるツールが役に立つ。

この3段階のステップで、はじめて「質の高い」アウトプットができると。
アウトプットの質に大きく関わるのは、何が問題・課題なのか、そこに気づき、設定できるかの部分。
つまりクリティカルシンキング。
クリエイティブもロジカルも、それを支える「ツール」でしかない。

なるへ。
すごくスッキリした。

実際は、本の中ではクリティカルシンキングは全体を囲う概念としてくくってるけど、
本質部分だけ見るとそれぞれ分割できるし、大枠で囲むなら
「問題への取り組み方」とかのがしっくりくるから、分けた。
かつ、論理思考の最初のフェーズ(MECEに洗い出すとき)にクリエイティブシンキングが
必要になると述べてたけども、収束思考の中に発散思考がある、ってなんか変だし分けた。
そもそも創造的思考(発散思考)と論理的思考(収束思考)は違う概念・ツールだしな。

結局、いちばん人間臭い作業が「気づき」の部分で、
かつそこがシャレっぽいけど「クリティカル」にもなってるんだなぁ。

こうやって体系的に見てみると、論理的思考の限界がどこにあるのかもよくわかる。
批判的思考・創造的思考のフェーズが稚拙だと、たとえ論理的であってもそれが、
「間違ってはいない。論理的でもある。しかし考えうる中で最悪の正しい答え」
になる可能性があるのね。

論理的思考はツールであるっていうことの意味が8割くらいわかった気がする。

以前5ヶ月くらいかけて取り組んでたプロジェクトも、最終アウトプットは
論理的ではあったかもしれないけど、課題自体の再定義の部分に「まだやれる」余地が
残ってたな確かに。その点のフィードバックももらっていたし。

さて、そんで、どうやったら「気づく力」が身につくかっつーと、
もう常に自分の頭で考えて慣れるしかないっつーことで、一つの練習法として書いてあったのが
「気づきノート」。
1日を振り返り、そこで気づいた課題と対処法のペアを書く。
1日原則30個書くんだと。

※ここまでが当時書いたまとめ

「新しいこと」をやろうとするときにネックになりやすい論理的思考

「論理的思考」の弱点というか限界としてもう一つ、前例がなかったり類似事例がなかったりで
「根拠となる情報」を集めることが難しかったり不可能なこと(=新しい取り組み)は、
ネガティブな結論、つまり「やらないでおこう」になりがちであるという点もあると思う。
ようするに強固な論理は過去のデータがないと構築できない。

顧客インタビューなどから課題設定をし(批判的思考)、
「これがいいんじゃないか」という課題解決法を洗い出したとき(創造的思考)、
課題そのものや手法そのものが「これまで取り組んだことないこと」であればあるほど、
「ほんとにそれで解決できるの?」という問いに答えるための情報が乏しくなる。
必然的に、「一旦さぁ、(やったことある)こっちの方法でまず取り組んでみない?」とか、
「課題はわかるけど、ひとまずこの課題は後回しにしない?」とか、
「オトナな判断」とか呼ばれる(個人的には思考停止と思える)結論に落ち着くことが多いように感じる。
ある意味で「賢ければ賢いほど」新しい取り組みは生まれてこない。
まさに「イノベーションのジレンマ 増補改訂版 (Harvard business school press)」そのまんま。
よく「学生ならではの、枠にとらわれない発想」なんてのがけっこうすごい結果を出したりするけど、
「”設定した課題を解決する方法”がうまくいく根拠」を論理的に構築できたわけではないけど
なんかやってみたらうまくいった、という事例なんだろうなと思う。
それを形容すると「学生ならではの枠にとらわれない発想」になる。
でもきっと、発想自体は学生でなくても、たとえば一企業の社員でも同じことを考えている人はいると思う。
それを実行できる環境にいるかいないかだけの違い。提案する方法が、論理的に成功を保証できることを証明しなければいけないかどうか。

新しいことを科学的にやりたい→リーン

では、新しいことをやるためには、今後も「学生ならではの〜」みたいなものに頼って
博打的にやっていく必要があるのかというと、それはあまりに大変だっつーので、
もっと科学的にやりたいなという欲求が当然出てくる。
その欲求から出てきたのが「リーン・スタートアップ ―ムダのない起業プロセスでイノベーションを生みだす」という考え方と思う。
リーンって一言でいうと「顧客から学習するためのサイクルをめっちゃ早く回して『だれも使わないもの』を作らないようにする」ことだと思う。
そのために、仮説検証のサイクルをたくさん回して、強固な「ロジック」を固めるためのデータを集めていく。
上の図で言うと、批判的思考で設定した課題を解決できそうな方法を創造的思考で導き出したとき、
それを過去のデータとか事例から論理的に検証するのではなくて、「科学的に体系化された手法で」検証するのがリーン、だと思う。
リーンって、「構築→計測→学習」のサイクルをどんどん回すけれど、「構築」に関わるのが批判的思考・創造的思考で、
「計測」によって必要なデータを手に入れ、「学習」フェーズで論理的思考をもって検証する。そんな感じかな。

このリーンな取り組みって、組織に「まぁやってみるか」という文化がないとなかなか実践が難しいように感じる。
だって、「リーンな取り組みで新しいことが生まれやすくなるかどうか」なんていう問い、
否定するほうがカンタンだもん。
失敗を許容する文化と、このままじゃまずいという危機感から生じる「なんでもやってみよう」という気概、
この2つがないとなかなか難しいのかなぁ。

そして今後

リーンな取り組み、本では勉強したことあるけど実際に本格的に実践してみたことはない。
Running Lean ―実践リーンスタートアップ (THE LEAN SERIES)で実践方法を勉強中。近く、実践して行きたい。

そして「気づいた課題と対処法ペア」の書き出し、やってない・・・。
ちょうど今日から年度も変わるので、改めてやりはじめよう。